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札幌高等裁判所 昭和56年(ネ)42号 判決

控訴人(原告)

野呂守明

被控訴人(被告)

株式会社内田商店

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し、金一六三万二五〇九円及び内金一四八万二五〇九円に対する昭和四九年三月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審を通じこれを一〇分し、その三を被控訴人の、その余は控訴人の各負担とする。

三  この判決は、控訴人勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決中、控訴人敗訴部分を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、金八八三万七一四八円及び内金七九二万七一四八円に対する昭和四九年三月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

第三証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一  当裁判所は、主文第一項記載の限度において控訴人の請求を正当と判断するものであり、その理由は、次のとおり付加訂正するほかは、原判決理由説示(第一ないし第四項)と同一であるから、ここにこれを引用する。

1  (一)原判決六枚目表七行目に「右前部」とあるのを「右側面前部」と改め、(二)同二行目、同八行目及び同一四行目に「衝突」とあるのをいずれも「接触」と、改める。

2  (一)同六枚目裏三行目に「追求」とあるのを「追及」と改め、(二)同一〇行目、同一二行目、同七枚目表三行目(二か所)、同五行目に「採石」とあるのをいずれも「砕石」と改める。

3  原判決八枚目表一行目冒頭から七行目「三・五メートルであること、」までの部分を、「三 被控訴人は、本件事故は専ら控訴人の過失によつて発生した旨主張するので、本件事故発生の状況をさらに具体的に判断する。まず一次事故の態様について検討するに、前記甲第六号証の一、二、一一、原審証人吉沢要司、同茂木照夫の各証言によれば、本件事故現場である県道古河佐野線は渡良瀬川の南側の堤防の傾斜面のほぼ中央部分に位置する平坦な道路で、車道の総幅員約六・八メートル、片側の幅員約三・四メートルの上下各一車線のアスフアルト舗装で、道路中央にやや不鮮明な黄色のセンターラインの表示があること、原告車の走行していた車線(以下、原告車の走行車線を「下り線」という。)と茂木車の走行していた車線(以下、茂木車の走行車線を「上り線」という。)とは、センターラインを境として上り線が下り線より七ないし一〇センチメートル高くなつており段差ができていること、道交法上の規制として「はみ出し禁止」「駐車禁止」の措置がとられていたこと、原告車が走行していた下り線のアスフアルト舗装道路に接続して、その南側に、二次衝突地点の西方約二〇メートルの地点から一次衝突地点の東方約一〇〇メートルの地点までの約一五〇メートルの間に幅約四・三メートルの砂利の待避帯(以下「本件待避帯」という。)が設けられていること、茂木車が走行していた上り線のアスフアルト舗装道路のすぐ北側には高さ約二・五メートルの前記堤防のうち、やや急な傾斜面のある土手が続いていること、一次衝突地点から二次衝突地点までの距離は約二七・八メートルであり、一次衝突地点及び二次衝突地点のいずれもやや西側に上り線道路から右堤防上に至る幅員がそれぞれ四・一メートル及び四・六メートルの道路があること」と改める。

4  原判決、(一)八枚目表一二行目から同一三行目にかけて「原告車も茂木車も共に」とあるのを「原告車(秋一一ま一九六七号)、茂木車(栃一一さ一二五八号)、生方車(栃一一さ一九七〇号)は、いずれも」と改め、(二)同一四行目に「二メートルである」とあるのを「二メートル、前輪は一軸のシングルタイヤ、後輪は二軸のダブルタイヤであり、原告車の全長は七・五二メートルで、茂木車の全長も原告車のそれとほぼ同じ程度であつた」と改める。

5  同八枚目裏一〇行目冒頭から同一二枚目裏二行目末尾までの部分を次のとおり改める。

「1(一) 前記甲第六号証の一、二、五、一一、一二、原審証人茂木照夫の証言によれば、(1)茂木は、一次衝突発生後、上り線内を約三〇メートル走行して上り線内に茂木車を停車したこと、(2)原告車のタイヤによる一条の鮮明なスリツプ痕が、一次衝突地点より西方約一二・八メートルかつセンターラインから下り線内に約一・七メートル入つた地点(以下、スリツプ痕の始まるこの地点を「A地点」という。)から、同所より西方約一四・二メートルかつセンターラインを超えて上り線内に約一メートル程度入つた二次衝突地点付近(以下、この地点を「B地点」という。)まで、約一五・六メートルにわたり、右側に向つてゆるやかな弓形を描き、さらに上り線内の右B地点から急角度で北東側に折れ曲つて約一メートル続いていること(以下の一条のスリツプ痕を「第一スリツプ痕」という。)、(3)また、B地点から約〇・五メートル北西側に右約一メートルのスリツプ痕とほぼ平行な長さ約一メートルのスリツプ痕(以下、このスリツプ痕を「第二スリツプ痕」という。)が印象されていること、(4)下り線より南側の本件待避帯には、原告車のタイヤによつて印象されたと思われるスリツプ痕などは存在しないこと、(5)原告車は、二次衝突により、前部フロントガラスが破損し、助手席前部の幅約〇・七メートルは原型を保持しているが、その他のフエンダーやバンパーは凹損大破して運転席にくい込み、運転台の計器類は破損していないが前部からの圧力により盛り上がつており、右側前輪は破損により回転不能の状態となり、B地点のやや東側で車首を北西に向け、前部両輪は対向車線(上り線)内にあり、車体の約半分が上り線内に進入し、生方車とかみ合つた状態で停止したこと、(6)これに対し、生方車は、原告車との衝突によつて、前部フロントガラスが破損し、助手席前部の幅約〇・七メートルは原型を保持しているが、その他のフエンダーやバンパーは凹損大破して運転席にくい込み、運転席側ドアが破損し、運転台の計器類のガラス部分が破損し、右側前輪は回転不能の状態であり、車体全部が上り線内にあつて、車首を東に向け、左側前部角付近が前記堤防の石垣に衝突してこれと接した状態で停止したことなどの事実が認められる。

(二) 前記甲第六号証の二及び五によれば、本件事故発生直後及び本件事故発生日の翌日、本件事故発生状況を明らかにするため、第一及び第二スリツプ痕の状況等の実況見分を担当した警察官は、右各スリツプ痕の位置及び形状、原告車と生方車の各構造、破損状況及び二次衝突後の右各車両の停止位置などから、第一スリツプ痕は原告車の左側前輪によつて印象されたものであり、第二スリツプ痕は生方車の右側前輪によつて印象されたものであると推定したことが認められる。

(三) また、前記甲第六号証の一、二、四、九、一二、いずれも成立に争いのない甲第六号証の一三、一四(但し、甲第六号証の一三の堀内数証人調書のうち後記措信しない部分を除く。)、原本の存在及び成立ともに争いのない甲第八号証(堀内数作成の鑑定書・・・後記措信しない部分を除く。)、原審証人茂木照夫、当審証人堀内数(後記措信しない部分を除く。)の各証言によれば、一次衝突は、すれ違いざまに原告車の右側前部と茂木車の右側後部とが接触した事故であり、右接触によるシヨツクは相互に僅かなものであつて、茂木車は約一八トンの砕石を積載し、原告車は空荷であつたため、原告車はやや反発されはしたが、はね飛ばされるような状況ではなく、原告車は右接触後も、A地点付近までは接触前とほぼ同じ速度で同じ進行方向に向つて進行していつたこと、そして、原告車は、右接触による反発で左側車輪に重心がかかる状態で、A地点からB地点まで、第一スリツプ痕の形状にしたがつて右前方に向つてゆるやかな弓形を描くように進行したこと、したがつて、原告車は、一次衝突地点からA地点を通過しB地点に至るまでの約二七・八メートルを一次衝突前とほぼ同じ時速約五〇キロメートル、すなわち約二秒間程度走行したこと、このように一次衝突後、原告車がセンターラインをオーバーして上り線内を直進してくる生方車に向つて進行した結果、B地点において、原告車の右前部運転席付近が生方車の前部右側付近に衝突し、原告車は約一八トンの砕石を積載した生方車に押し戻され、前記(一)(5)で認定した位置に停止したことが認められ、右認定に反する前記甲第六号証の一三(堀内数証人調書)中の証言記載部分及び同甲第八号証(堀内数作成の鑑定書)中の記載部分並びに当審証人堀内数の証言部分は、いずれも前掲各証拠に照らし採用しがたい。

(四) 前記甲第六号証の一一、原審証人茂木照夫、同吉沢要司の各証言によれば、本件事故現場付近の上り線は、砕石を満載した大型ダンプカーの通行が頻繁であることから、その重量によつて上り線内の道路上に深さ三ないし七センチメートルに及ぶ大型ダンプカーのタイヤによるわだちができており、これを外れるとハンドルを取られたりするなど走行に危険が生じることから、ここを通る大型ダンプカーの運転手は、自車のタイヤの位置がこのわだちの上にくる状態にして車を運転するのが通常であることが認められる。そして、前記甲第六号証の一一によれば、訴外武藤政雄は、大型ダンプカーに乗車して、先行の茂木車とその後続の生方車がセンターラインを超えて対向車線に入つて走行すれば、これを目撃することができる状況で、生方車の後方約二〇メートルの地点を同車と同じ方向に走行していたが、右各車両が本件事故現場付近でセンターラインをオーバーするような走行をした事実はなかつたと記憶していることが認められる。

(五) さらに、前記甲第六号証の三、七ないし一〇、一四、原審における控訴人本人尋問の結果によれば、(1)控訴人は、本件事故発生日の前日である昭和四九年三月一二日は、砕石を積載した原告車を運転して、午前三時ころ栃木県安蘇郡葛生町所在の勤務先の飯場を出発し、午前六時ころ東京都内の目的地へ到着して右砕石を降ろしたのち、午前八時半ころ同所を出発し、午前一一時四五分ころ右飯場に帰つてきて、午後二時ころまで休息をとり、午後二時半ころから約一時間原告車に砕石を積載する作業をしたのち、午後六時ころまで休息をとり、午後七時ころ再び原告車を運転して右飯場を出発し、午後九時四五分ころ東京都内の目的地に到着し、午後一一時ころ右砕石を降ろしたのち、翌三月一三日午前零時ころ同所を出発し、午前二時ころ本件事故現場にさしかかつた際に本件事故が発生したこと、(2)控訴人は、警察官の取調べに対し、昭和四九年四月三〇日には「この事故は、私が気の緩みから、ほんの少し居眠りをしてしまつたためと思います。」旨述べ(甲第六号証の八参照)、また、検察官の取調べに対し、同年九月九日には「私は、特に居眠りをしていてぶつかつたという記憶はありません。ただ、その頃もう少しで到着するという安心感で気が緩んでいたことは事実です。事故現場からあと二五分か三〇分走れば飯場へ帰り着くところでした。衝突場所の状況から、私が、いくらか右にはみ出て対向ダンプと接触し、そのため右に引つ張られて、その後続ダンプと正面衝突したと思われるのです。私がセンターラインをいくらかでもオーバーしないのに最初のダンプが接触してきたのだという反論もできません。」旨述べ(甲第六号証の九参照)、同年一一月二日には「決して居眠りしていて右に出てしまつたわけではありません。もう目的地に着くという安心感もあり、つい油断し、センターライン寄りを走り、いくらか右カーブになつていたため、ハンドルをいくらか右に切り、センターラインをオーバーしたのです。そのため、生方さんの前を走つてきた茂木さんのダンプの右側後部に私の車の右前部が接触してしまつたのです。そのときガンとぶつかり、ハンドルをとられ右に出てしまい、生方さんの車に正面衝突してしまつたのです。」旨述べており(甲第六号証の一〇参照)、控訴人は、本件事故発生日である昭和四九年三月一三日から同一一月二日までの間においては、一次衝突は、もう少しで飯場に到着するという控訴人の気の緩みから、原告車がセンターラインをオーバーしたために発生したものであると一貫して自認し、茂木車が対向の下り線内に進入してきた事実については、これを主張することがなかつたことが認められる。

(六) 他方これに対し、前記甲第六号証の一、二、四、原審における茂木照夫の証言によれば、茂木は、本件事故発生直後から一貫して、一次衝突は原告車のセンターラインオーバーが原因であると述べていることが認められる。

2 以上1の(一)ないし(六)の各認定事実によれば、(一)第一スリツプ痕は、原告車の左側前輪により印象され、第二スリツプ痕は、生方車の右側前輪により印象されたものであること、(二)そして、一次衝突は、控訴人が、やや過労気味であつたことと、間もなく前記飯場に帰着できるという安心感による気の緩みから、本件事故現場の右カーブにさしかかつた際、センターラインを若干オーバーして対向の上り線内に進入したために発生したものであること、(三)さらに、原告車が一次衝突時に上り線内に進入した程度は、一次衝突によるシヨツクは小さく、原告車はやや反発されながらも、一次衝突前の進路とほぼ同じ方向に向つて、一次衝突地点からA地点へと進行したこと及びA地点はセンターラインから下り線内に約一・七メートル入つた地点であること並びに原告車の車幅は二・四メートルで、前輪の輪間距離は二メートルであることなどに照らすと、約〇・五メートル程度であつたことなどがそれぞれ推認される。

3 なお、前記甲第六号証の一三(堀内数証人調書)、第八号証(堀内数作成の鑑定書)及び当審証人堀内数の証言によれば、右堀内数は、(一)本件事故現場の上り線を走行する大型車両運転手は、センターラインを超えるか、またはセンターラインに沿つて走行する一般的傾向があること、(二)一次衝突直後の約一秒間に、原告車の右側前輪のタイヤ空気圧が急激に低下し、車体が右方に横すべりしたため、右タイヤが変形し路面に第一スリツプ痕を印象したこと、(三)第一スリツプ痕が原告車の左側前輪によるものであることを前提として、原告車と生方車の位置関係を求めて考察すると、原告車の前部左側部分は前記1(一)(5)に認定の損傷よりも著しくなるはずであることなどを主たる根拠として、第一スリツプ痕は原告車の右側前輪によるものであり、かつ原告車がセンターラインを超えて対向車線に進入したことを立証する資料は存在しないとの鑑定結果を報告し、右鑑定結果に沿う証言をしていることが認められる。

しかしながら、右(一)の点は一般論にすぎず、前記1(四)に認定のとおり本件において茂木車が対向車線に進入した事実を認める資料はないこと、また、時速約五〇キロメートルで進行していた原告車は、一次衝突地点からA地点までの約一二・八メートルを約一秒足らずで走行したものと推認されるが、一次衝突直後のわずか約一秒足らずの間に原告車の右側前輪タイヤの空気圧が急激に低下したことは本件証拠によつてもこれを認めることができないこと(なお、前掲各証拠によれば、本件事故後に撮影された写真中に、茂木車の右側後輪ホイルが変形し、原告車の右側前輪タイヤがパンクしている状況が写されたもののあることが認められるが、これらの事実によつては、右空気圧の急激な低下の事実を推認するに足りない。)、さらに、第一スリツプ痕が原告車の右側前輪によつて印象されたことを前提とした場合でも、前記1(三)に認定した二次衝突の形態に鑑みると、原告車の前部左側の損傷が前記1(一)(5)に認定のようなものであつたとしても、必ずしも不合理ではないと思料されること、そして、第一スリツプ痕が原告車の右側前輪によつて印象されたものであれば、一次衝突後原告車の重心がかかつていた左側車輪のタイヤによる痕跡が本件待避帯上に印象されたものと考えられるが、全証拠によつても右のような痕跡が本件待避帯上に存在していたものとは認められないし、前記甲第六号証の七によれば、控訴人は、本件待避帯上を走行したことはない旨供述していることが認められること、前記鑑定書添付の第三図と第四図とでは、二次衝突後における生方車の停止位置がくい違つていたり、右第三図上における、原告車のタイヤによる第一スリツプ痕のうちB地点から北東側に折れ曲つた部分の形状が、前記1(一)(2)で認定したものよりも長く作図されていたりしており、さらに、二次衝突時における生方車と原告車の各道路上における位置が右第三図に作図された状況のとおりであつたか否かは本件全証拠によるも必ずしも明らかではないことなどの諸点に照らすと、前記鑑定の結果及びこれに沿う前記甲第六号証の一三(堀内数証人調書)、当審証人堀内数の各証言部分は、これを採用することができない。」

6  (一)原判決一二枚目裏三行目に「6」とあるのを「4」と改め、(二)同六行目の「あつたこと」の次に「、前記甲第六号証の一によれば、本件事故発生当時は深夜でかつ左カーブの本件事故現場付近には街灯の設備もないため暗く、見通しが悪かつたこと、原告車が上り線内に進入したのは前記認定説示のとおり約〇・五メートルにすぎないし、前記甲第六号証の二、第八号証、当審証人堀内数の証言によれば、一次衝突は、茂木が、原告車が上り線内に進入してくるのを発見した地点から約一六メートル進行したときに発生したことが認められ、右事実によれば、茂木は、右約一六メートルを進行する間において、ハンドルを左に切つて一次衝突を回避しうる余地があつたと考えられることなど」を付加し、(三)同九行目の「茂木に」から一三枚目表七行目末尾までの部分を「茂木は右注意義務を怠り、原告車の動静を十分に注視することなく、漫然と時速約五〇ないし五五キロメートルで走行を続けた過失により一次衝突が発生したものであつて、右過失も一次衝突発生の一因をなしているものと考えられる。したがつて、被控訴人の免責の主張は、その余の点について判断するまでもなく、これを採用することができない。そして、以上に認定の諸般の事情を考慮すると、一次衝突についての控訴人と茂木との過失の割合は、控訴人が七〇パーセント、茂木が三〇パーセントとするのが相当である。」と改める。

7  原判決一三枚目裏五行目に「ていたこと」とあるのを「、同年一一月二〇日及び同月二一日の二日間は付添看護を要する状態であつたこと」と改める。

8  同一三枚目裏一〇行目の「原告は」から同一一行目末尾までの部分を「いずれも原本の存在及び成立ともに争いのない甲第一〇号証ないし第一二号証、当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、前記1の入通院期間中の治療費として合計四二万五三四六円の支出を余儀なくされたことが認められる。」と改める。

9  同一三枚目裏末行の「当初」から同一四枚目表二行目末尾までの部分を「前記1の合計五五日間の入院につき、一日二〇〇〇円の割合で計算すると合計一一万円となる。」と改める。

10  (一)原判決一四枚目表四行目の「甲第七号証」の次に「、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)」を付加し、(二)同一三行目に「三万六〇〇〇円」とあるのを「三万円」と改め、(三)同一四行目の「合計三〇万」から一四枚目裏一行目の「これを」までの部分を「二九万九六〇〇円に上るものと認められ、原審及び当審における控訴人本人の供述中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はないから、右経費を」と改め、(四)一四枚目裏二行目「一万八七〇七円」とあるのを「一万八八〇七円」と改め、(五)同五行目に「三七八日」とあるのを「三七九日」と改め、(六)同行に「七〇七万一二四六円」とあるのを「七一二万七八五三円」と改め、七行目冒頭から一〇行目末尾までを削る。

11  原判決、(一)一五枚目表五行目に「右3ないし6」とあるのを「2ないし6」と改め、(二)同行に「九〇一万五七四六円」とあるのを「九五〇万一六九九円」と改め、(三)同六行目及び同七、八行目に「七五パーセント」とあるのをいずれも「七〇パーセント」と改め、(四)同八行目に「二二五万三九三六円」とあるのを「二八五万〇五〇九円」と改め、(五)同一一行目に「八八万五九三六円」とあるのを「一四八万二五〇九円」と改める。

12  原判決一五枚目裏一行目に「金八万円」とあるのを「金一五万円」と改める。

二  結論

よつて、控訴人の本訴請求は、右損害賠償金合計一六三万二五〇九円及び弁護士費用を除いた内金一四八万二五〇九円に対する本件事故発生の日である昭和四九年三月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきであるから、これと異なる原判決を主文第一項のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条、第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 瀧田薫 吉本俊雄 井上繁規)

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